昭和62年4月に発表した「海外投資行動指針」は、その前身である昭和48年発表の「発展途上国に対する投資行動の指針」の対象範囲を拡大し、先進国を含む全世界におけるわが国企業の海外投資の指針として策定されたものである。
その後、わが国企業はめざましい国際化をとげ、海外におけるプレゼンスを著しく高めているが、今後もさらなる国際化が必然となっている。
これに伴い、わが国企業が事業活動や投資活動を行う国や地域では、その役割に対する期待が高まる一方、責任ある行動が強く求められるようになり、これに反する行動に対しては、政府による規制だけでなく、各種のステークホルダーによる強い社会的非難が加えられ、企業活動自体が困難となる状況も生じうる。すなわち、グローバルには、企業は、その活動する国や地域の法律を遵守するだけではなく、国際的に宣言された基準にしたがって、人権尊重、労働者保護、環境保護、腐敗防止などに努めなければならないという考え方が一般化しており(国連グローバル・コンパクト、OECD多国籍企業行動指針など)、このような国際的な要請に適切に対応できない企業は大きなリスクを抱え込むことになる。
他方、世界的に企業の社会的責任の重要性が増している中で、わが国には「三方よし-売りてよし、買いてよし、世間よし」という言葉にみられるような企業を社会の公器と考える商人哲学が古くから存在するとともに、自然を人間社会と対置してとらえるのではなく、自然との共生を図るという国民性もある。これらは、わが国企業に内在する行動原理として有効に機能しうるものである。
そこで、海外におけるわが国企業の適正な事業活動、投資活動を確保するため、グローバルな動向に対応するなかで、わが国特有の企業倫理も取り入れた「企業グローバル行動指針」を制定する。
1.企業は顧客、株主など、多様なステークホルダーの支持や承認を経て、初めて存在が認められる「社会の公器」である。この考え方は、日本の伝統的な商人哲学にルーツをもつ。したがって、日本企業は、海外の事業活動や投資活動においても、この伝統的価値にのっとり、社会の公器としての自覚と誇りをもって、持続的成長を可能とする経営に努めなければならない。
2.企業は、自らが掲げる行動原理を、理念や理想のレベルにとどめず、具体的・計画的に実践していかなければならない。また、その実践内容を、分かりやすくステークホルダーに説明しなければならない。
3.企業は、本「行動指針」を参照し、各社の事業、業態、規模、進出先などを考慮に入れた「具体的な行動指針」を制定されたい。既に「具体的な行動指針」を策定している企業は、今後の改訂作業の中で、本「行動指針」の考えを反映させるよう、検討・配慮されたい。
4.企業は、「具体的な行動指針」の制定と併せ、その実効性を確保するための内部管理体制の整備に努めなければならない。その際、留意すべき事項は次のとおりである。
①行動指針の順守が海外における企業活動の基本となる旨を、経営者が明確に宣言すること。
②内部管理体制は、一律的に考えず、事業・投資を行う国、地域の実情に応じた「柔軟で効果のあがる仕組み」とすること。
③行動指針に従った活動が妨げられる場合、その背景や状況について、これに係わるリスクを評価するとともに、責任を負う権限者が、同リスクの対応について明確な決定を下すこと。
④違反行為に対する懲戒などの規定を定め、妥協のない姿勢を明確にすること。特に懲戒規定の適用においては、恣意的運用を許さず、一貫性の厳守に努めること。
⑤行動指針の実践にあたっては、リスクに応じた取り組みを進めるとともに、効果を検証しながら、リスク管理の精度をあげていくこと。
⑥行動指針の趣旨を理解し、またグローバルな広がりをもってこれを共有するため、計画的・体系的に教育や研修を実施すること。
⑦手続の運用状況などを定期的に監査・検証し、必要に応じて、行動指針、社内規定、内部管理体制などを改善すること。
5.企業は、自らの事業活動において、人権や労働者の権利を侵害してはならず、環境破壊や腐敗に加担することも許されない。事業活動を通じて、問題行為を把握した時、これに目をつぶり、容認するようなことがあってはならない。サプライチェーンなどが問題を抱えている場合には、是正を求めるだけでなく、可能な範囲で、キャパシティ・ビルディングなどの支援も行う必要がある。「社会の公器」に求められるのは、社会の利益となるよう、善意と創意工夫をもって自らの影響力を行使することである。
1.企業は、国際的に宣言された人権を尊重した事業活動を行わなければならない。
2.企業は、自らの事業活動が、人権侵害への加担・助長につながることのないよう努めなければならない。
1.企業は、相手国の国民に尊敬の念をもち、人権を尊重した事業活動を実行することによって、相手国における人権擁護の促進を実現することができる。人権保障は、本来国家の責務であるが、必ずしも人権が十分に保障されているとは言えない国家も存在する。こうした国家においては、企業は、より明確に自らの社会的責任として、人権をめぐる社会状況の改善・向上に寄与することが求められる。特に現地法と国際規範が相対立する場合には、「人権尊重・人権擁護に関する基本原則」などの規範を優先することが期待されている。
2.企業にあっても、相手国における人権擁護の促進がビジネス環境を向上させること、消費者を含めたステークホルダーからの信頼獲得による自らの持続的成長につながることを認識すべきである。
3.企業は、人権尊重・人権擁護に関する基本原則とその実現に向けた具体的な行動指針を明示するとともに、こうした基本原則と行動指針に対する自らのコミットメントを明確にしなければならない。
4.企業は、直接・間接を問わず、作為・不作為を問わず、人権侵害への加担・助長という結果を招くことのないよう、自らの事業活動だけではなく、サプライチェーン全体に対して十分な注意を払わなければならない。
5.企業は、自らの事業活動による人権への影響及び人権尊重・人権擁護への取り組みの適切性を検証するための手続きや仕組みを構築しなければならない。それには、サプライヤーやビジネスパートナーも含めた人権侵害リスクの適切な把握、当該リスクへの適切な是正対応の実施、ステークホルダーとの積極的な対話、具体的な対応状況の報告などを組み込む必要がある。
1.企業は、労働者保護に努めなければならない。
1.企業が、労働者を単なる事業経営上の手段、コストと捉えることは、搾取の容認につながり、進出国社会の貧困を固定化し、その成長を阻害する。したがって、企業は、労働者を幸福追求権をもつ主体的存在と認め、企業活動に不可欠なパートナーと位置づけるべきである。
2.企業は、労働者との共存共栄を図ることで、進出国において初めて重要な企業市民と認められ、その持続的な成長が実現できると認識しなければならない。とりわけ、「人は成長を通じて喜びを感じる」「一人ひとりの成長が国家繁栄の礎になる」という根本を念頭に置き、企業は、労働者の自己実現を支援することが求められる。
3.企業は、職場の安全、衛生を確保するため、定期的かつ必要に応じて、安全、衛生に関するリスクを評価し、適時、適切な対応を実施しなければならない。
4.企業は、労働者を人種、肌の色、性別、宗教、政治的見解、出身国、社会的出自、年齢、障害、HIV/エイズ等への感染、組合への加入、性的指向などの不合理な理由に基づき、差別してはならない。
5.企業は、あらゆる形態での児童労働、強制労働を行ってはならず、仮にサプライチェーンの何処かにその疑いがあれば、企業は自らの影響力を活かし、その撲滅に貢献しなければならない。そのためには、進出先や取引先の労働状況を定期的に確認し、実態を踏まえての「合理的な防止策や改善策」を用意する必要がある。同業他社などによるベスト・プラクティスがあれば、これも参考にし、自社にあった「より効果のあがるプログラム」を策定・実施する必要がある。
6.企業は、日常的にさまざまな機会を通じて、労働者との十分なコミュニケーションを図り、企業の取り組みに関する労働者の理解を促すとともに、労働者の意見、提案などに耳を傾けるように努めなければならない。特に現場の状況をよく理解した組合代表などとの意見交換は欠かせない。企業は、コミュニケーションを図るために弊害となる要因を取り除き、良好な労使関係の構築に努めることが期待されている。
1.企業は、環境を破壊しないように予防的措置を講じなければならない。
2.企業は、環境に優しい技術の開発と普及に努める。
1.地球環境は壊れやすく、環境破壊は人類にとって取り返しのつかない損害を与える場合がある。破壊された環境の回復が可能な場合であっても、これには膨大なコストと時間を要し、企業、国家、自治体、地域、国際社会にとって大きな負担となる上に、企業イメージに重大なダメージを与える。また、いったん環境破壊が発生した後にその回復のために要する費用は、その予防に要する費用をはるかに上回る。したがって、企業は、環境問題に予防的アプローチで取り組むべきである。
2.企業は、予防的対応を宣言するコミットメントを出し、それを基礎づける行動規範、ガイドラインを制定するとともに、その実効性を確保するための体制を整備すべきである。
3.環境問題は、多くのステークホルダーに影響を及ぼす。したがって、企業は、ステークホルダーとの間で、透明性のある相互コミュニケーションを確立し、予防的対応の前提となる情報収集に努めるとともに、企業の環境に対する姿勢についての理解を促進すべきである。
4.環境への負荷を軽減し、資源を持続可能な方法で利用し、リサイクルを促進する「環境にやさしい技術」は、環境破壊を防止すると同時に、新たなビジネスチャンスを生み、企業の競争力を高め、その持続的成長に資する。したがって、企業は環境に優しい技術の開発と普及に努めるべきである。
5.企業は、サプライチェーンの何処かに環境を破壊する疑いがあれば、企業は自らの影響力を活かし、その撲滅に貢献しなければならない。そのためには、取引先の環境状況を定期的に確認し、実態を踏まえての「合理的な防止策や改善策」を用意する必要がある。
1.企業は、その従業員やエージェントによる如何なる贈収賄などの腐敗行為も許してはならない。
1.金銭の多寡にかかわらず、企業が外国政府公務員に不正な利益を提供すれば、それは、相手国政府を国民に仕えるサーバントではなく、国民を搾取するマスターに育てあげてしまう。「賄賂をもらわなければ、仕事をしない」という官僚を大量に作り出すことは、法の統治を破壊し、相手国の持続的発展を阻むことになる。
2.相手国公務員の不当な要求に応じる企業は、それ以降、格好のターゲットとなり、一層、高額な支払いを求められることになる。こうした悪循環に陥らないためにも、企業は、腐敗防止のための、形式的ではない「リスク志向」の取り組みを徹底しなければならない。
3.腐敗防止にあたっては、一般的な行動規範のみならず、より詳細な便益の提供や経費の負担、寄附・助成の実施などに関する内規を策定しなければならない。企業は、その策定にあたり、「不正の意図」の有無などを具体的に示す明確な禁止・許容基準を示さなければならない。
4.策定した内規を定着・機能させるため、経営者は、これに自ら取り組む姿勢を明確にしなければならない。かけ声だけでなく、事業部門やプロジェクト毎に贈賄リスクを評価し、それを踏まえた教育訓練を実施するなど、実際のアクションを通じて、全社員・スタッフに経営者の本気度を伝えなければならない。
5.企業が業務に関連しエージェント(仲介業者)を採用する場合、契約前のリスク評価は当然のこと、契約後も、エージェントに対し、モニターを続けなければならない。また、M&Aにおいては、買収先企業の贈賄リスクを体系的に分析し、買収後に実施する内部統制整備に関する計画を策定しなければならない。
1.企業は、公正な競争を妨げる行為、特に市場価格に影響を及ぼすような調整行為に加担してはならない。
1.市場は、企業間の自由な競争を促すことで、社会や国家を潤す。それは、企業が自由な発想で経営資源を駆使し、より良い製品やサービスを取引先や消費者に提供するからである。しかし、影響力のある企業が、価格操作などの反競争的行為(特にハードコア・カルテル)に走れば、市場が生み出すはずの利益は失われ、さらには富や所得の配分に係わる正義まで歪められてしまう。
2.企業は、自由な取引という恩恵を受けることで成長が可能となる。その恩恵を受けるには、市場が求める「公正な競争」という大原則を尊重し、これに従う必要がある。企業による調整行為は、短期的にはその企業に利益をもたらすかもしれないが、長期的には、市場に対する政府の介入を招き、結果として企業は自由な取引の場を失うことになる。
3.反競争的行為を防止するには、企業は、一般的な行動規範のみならず、より具体的な規則やマニュアルを策定しなければならない。とりわけ、グローバルにビジネスを展開する企業では、特定の国・業界における商慣習が、他国の消費者などに悪影響を及ぼす可能性があること、またそれが複数国における刑事上・民事上の重層的なペナルティにつながることを十分に自覚し、遵守すべき方針や手続きを具体化しなければならない。
4.策定したマニュアルを定着・機能させるには、経営者自らがリーダーシップを発揮し、特にハードコア・カルテルの防止については一切妥協しない姿勢を全役員・社員に示す必要がある。事業上の性質から、違反リスクの高い部署や業務、関連会社や地域があれば、そこには、より頻繁に教育訓練や監査を実施し、また人事異動も定期的に行わなければならない。
5.反競争的行為については、事前防止と併せ、事後対応についても、社内手順を明確化する必要がある。内部監査などにより問題行為を確認した場合、また営業、関係会社、海外拠点などが懸念事案(特に、ハードコア・カルテル)を確認した場合、その情報は迅速に本社担当部へ伝達されなければならない。本社に問題情報を漏れなく集めること、またそれを可能とする仕組みを構築し、機能させることが、企業における事後対応の良否を決する。
以上
制定日:2014年7月18日
※【英文版】(PDF:123KB)
「企業グローバル行動指針」ガイダンス(PDF:204KB)
「発展途上国に対する投資行動の指針」1973(昭和48)年6月1日
「在外企業の労働問題に関する提言」1974(昭和49)年3月20日
「海外投資行動指針」1987(昭和62)年4月1日
起草に当たって(改定案起草委員会 事務局 畑中 富男)
改定にあたり、意識したこと(改定案起草委員会 委員 髙 巖)
※初出:『月刊グローバル経営』2014年7/8月合併号(No.380)/日外協40周年記念号